時化の海に、料理人の意地を置く
- osamu N

- Apr 30
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雑賀崎の猟師さんたちが、悔しそうに網を畳んでいる。 悪天候、そして容赦ない原油高。漁に出られない理由はいくらでもある。
けれど、私のカレンダーには、今日この場所を予約してくださったお客様の名前がある。
「魚がない」 その一言で片付けるのは、15年積み上げてきた「野菜家」としての矜持が許さない。
だから私は、竿を持つ。
年間300日以上、この海を見続けてきた経験が、潮のわずかな変化を教えてくれる。 魚の居場所を探り、ルアーを送り込み、静かにその時を待つ。
これは単なる趣味の釣りではない。 海と対話し、自然の恵みを強引にではなく、丁寧に「分けてもらう」ための儀式だ。
こうして手にした一匹は、市場で買ったものとは明らかに「顔」が違う。
今夜、皿の上に載るのは、 和歌山の海の厳しさと、それを乗り越えた一人の男の意地です。
潮の香りと共に、皆様のご来店をお待ちしています。