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覚悟の決断

  • Writer: osamu N
    osamu N
  • 4 days ago
  • 2 min read
かつて手にした栄光、そして「野菜ソムリエ」という分かりやすい看板。それは確かに、私たちの歩みを支える大きな力でした。

しかし、素材と真摯に向き合い、引き算の美学を突き詰めた今、その肩書きすら一種の「枠」に過ぎないと気づいたのです。

目指すのは、野菜というジャンルに縛られることのない、命そのものを輝かせる料理。土の香り、海の息吹。自らが現場で触れた自然の生命力を、ただ愚直に一皿へと写し取る。看板を捨て、一人の表現者として、和歌山の食の真髄に挑みます。
【15年持った看板】

3月、私は大きな手放しをした。 2013年に賞をいただき、長年私の代名詞だった「野菜ソムリエ」の冠を捨てる。 愛着も誇りもあった。 けれど、その看板に安住していては、15年前の自分を超えることはできない。 リブランディング それは、自分自身に「未完成」を突きつける儀式だった。

「秘すれば花」――。世阿弥が至った「幽玄」の境地は、余分な表現を削ぎ落とした先にある、言葉にならない深遠な美しさです。

すべてを露わにせず、内に秘めるからこそ、見る者の想像力の中で無限の情熱が花開く。それは、過剰な装飾を捨て、素材そのものの生命力を引き出す「引き算の美学」の精神とも深く共鳴します。

和歌山の歴史ある風土の中で、言葉を超えた本質的な美と洗練を追求すること。舞台の上で、そして一皿の上で、表現者が命を削り出して描く美の世界は、時を越えて今も静かに息づいています。
【世阿弥と幽玄】

辿り着いたのは、学生時に研究した世阿弥の「幽玄」だった。 目に見える派手さではなく、余白の中に宿る深い美しさ。

和歌山の豊かな食材、その生命力をどう引き出すか。

言葉で飾る「野菜ソムリエ」としての説明を捨て、一皿の佇まいだけで客の魂を揺さぶる。

そんな表現者としての道を歩み始めた。



足すこと、飾ることで本質を覆い隠さない。

余計な調味料や過剰な演出を限界まで削ぎ落とし、素材が持つ本来の生命力をダイレクトに伝える。それが私たちの掲げる「引き算の美学」です。

自ら海へ出て命と対峙し、土に触れて旬を感じるからこそ、その素材が持つ「一番美味しい純粋な姿」が見えてくる。すべてをさらけ出すのではなく、削ぎ落とした先にある深遠な旨味と美しさを、一皿の上に静かに描き出します。
【引き算の美学】

かつての私は、何かを足すことで自分を証明しようとしていた。 今は違う。不純物を削ぎ落とし、素材が持つ「生命力」をむき出しにする引き算の美学。

それは、平和酒造さんの酒作りとも共通する精神だ。余計なものを引いた先に残る一滴と一皿の共鳴。 それこそが、私が追い求める究極の姿だった。


厨房に立ち、素材と対峙する。それは「調理」というより「対話」に近い瞬間です。

土から引き抜かれた瑞々しい野菜、荒波を生き抜いて生け締めされた魚。彼らが持つ本来の味わいや、最も輝く瞬間は、すべて食材自身が教えてくれます。

過剰な味付けでこちらの意思を押し付けるのではなく、ただ静かにその声に耳を傾け、一番良い状態を引き出す。余分なものを削ぎ落とす「引き算の美学」の根底には、自然の命に対する深い敬意と、食材の声に寄り添う真摯な眼差しがあります。
【食材の声を聴く】

野菜も、魚も、生きていた。その命の躍動を消さずに、皿の上に定着させる。

15年前は「知識」で料理を作っていた。 今は「感覚」を研ぎ澄ませて、食材と対話する。

野菜ソムリエという知識の鎧を脱ぎ捨てたことで、皮肉にも素材の本当の凄みが、より鮮明に、より深く見えるようになった。

お腹を満たすためだけの場所なら、世の中に溢れています。私たちが目指すのは、単なる飲食店という枠組みを遥かに超えた、命と情熱が交差する「舞台」です。

自ら海へ出て魚と対峙し、土に触れて素材の生命力を感じる。そこで得た自然への畏敬の念を、過剰な装飾を捨てた「引き算の美学」によって一皿に写し取る。私たちが提供しているのは、料理という名の「生き様」そのものです。

このカウンターを挟んで、生産者、釣り人、そして食を愛する人々が肩書きを捨てて繋がり、語らい、笑顔を交わす。美食の聖地サンセバスチャンのバルがそうであったように、人の人生を豊かにする文化的なコミュニティでありたい。暖簾をくぐった先にあるのは、日常を鮮やかに彩る特別な物語です。
【単なる飲食店を超えて】

飲食店は、ただ腹を満たす場所ではない。 店主の思想と、和歌山の風土、お客様の期待が交差する表現の場であるべきだ。

野菜ソムリエから一人の表現者へ。

この脱皮は、15年という月日が必要とした通過儀礼だったのかもしれない。 自分自身を更新し続けることでしか、お客様を熱狂させることはできない。

15年の節目を迎え、「野菜家さい」はこれまでの軌跡を礎に、さらなる高みへと向かう「第二章」へと進みます。私たちが進むべき未来、そして暖簾に込める新たな指針をここに掲げます。
【第二章の指針】

メジャーな看板を掲げていれば安全だった。 でも、守りに入った時点で15年前の私に負ける。 引き算の果てに、日本酒を合わせた時、どんな化学反応が起きるのか。


周囲の「分かりやすさ」に魂を売るつもりはない。 未知の領域へ踏み出す高揚感で、今は胸が震えている。

和歌山の豊かな山々が育んだ、大自然の恵み。

清らかな水とドングリなどの山の幸をふんだんに食べて育ったイノシシやシカは、適切かつ迅速な処理を施すことで、特有の臭みが一切ない、力強くも驚くほど澄んだ旨味を放ちます。

余計な手を加えず、素材が持つ野生の生命力をそのまま引き出す「引き算の美学」を持って対峙する。脂の甘み、赤身の濃密な味わい。山の命に深い敬意を払い、その真髄を一皿へと写し取ります。この土地の風土そのものを味わう、贅沢な野生の饗宴をお愉しみください。
【わかやまジビエ】

本日、わかやまジビエ振興協議会の活動が再開される。 そこでも私は「引き算」と「共鳴」を伝えていく。 野菜家さいは、ただのスペイン料理店ではない。 世阿弥の教えを胸に、一瞬の美しさを提供する舞台だ。

15年前の敗北を塗り替えるための、鋭く、静かな覚悟。もう店の中だけで収まる話しじゃない。


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